世界最強の株式シストレ・モデルが出力する銘柄ランキング、そのうちの上位2つを事前公開。そしてその運用結果を検証する日記です。
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◇ シュワルツ先生への質問は、もっぱら山田先生。おもに日米貿易摩擦を解消する処方箋は何か、何が考えられるのか---というのがシュワルツ先生への質問です。 シュワルツ先生のマネタリズムの考え方をじゅうぶん理解しうる力が私にはなかったのですが、どうも為替レートのコントロールが日米貿易摩擦の唯一の解決手段であるというようなお話ぶりです。 為替だけで解決できる問題ではなかろうという印象をもっていた私は山田先生に聞きました。「シュワーツ先生は、為替レートの調節以外に方法はないとおっしゃっているように聞こえるんですけど?」。 すると山田先生も「・・・どうもそのようだねえ」と、少々納得しかねるという顔をされました。

◇ ともあれシュワルツ先生がそうお考えなら次の質問はこれ以外にありません-----日米貿易摩擦を解決する為替水準ってどのくらいか? シュワルツ先生は、最初とまどったような顔をされました。 いろいろ説明はして下さるのですが、なかなか具体的な為替水準が出てきません。 山田先生が「110円くらいですか」と水を向けると、シュワルツ先生は「悪くはない水準だと思う」とおっしゃったので、逆にわれわれが面食らいました。 「100円から105円というのは妥当なところでしょう。 私は為替の専門家ではないのでよく分からないけれど、一時的には100円を超えることがあっても驚くことではないでしょう」とおっしゃいました。 「日本企業には力があります。心配することはありません」とも。 その頃の円ドルレートは150円を突破して140円台に入ったところでした。

◇ 山田先生が「シュワーツ先生は『FRBの影のアドバイザー』と呼ばれていますが、ボルカー議長にもそうアドバイスされたのですか」と質問したところ、シュワーツ先生はこうお話されました。 「彼(ボルカー議長)とは友だちです。だからいつもそうした議論はしています。それをアドバイスというかどうか。 私の考えについて彼がどう思っているかはわかりません」。

◇ 約束の時間が1時間であったのでシュワルツ先生に聞きそびれたこともたくさんあります。 しかしプラザ合意の頃(1ドル220円台の頃)から為替レート1ドル100円という水準がすくなくともシュワルツ先生の頭にはあったようであることには驚かされました。 シュワルツ先生との面談後、Prof.Yamadaにシュワルツ先生の面談内容を話したころ「ええ~、100円? 日本はこまっちゃうねえ~」。

◇ 後日談-----シュワルツ先生がお話くださった内容を、勤務先(証券会社)の全店放送ミーティングで伝えました。 けれどミーティングのあと営業部隊から苦情がきました、「円高の話をしたら株は売れんだろう!!」。 結局シュワルツ先生の件は、会社の月報コラムにちょっとだけ書いておしまいになりました。 シュワルツ先生にインタビューを申し込んだ日本人は学者を除けば誰もいないということだったので、新聞に投稿などしていたらスクープになったかも・・・残念。
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【2010/09/22 08:30】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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◇ 1980年代、米国は貿易赤字と財政赤字の2つが同時に存在する、いわゆる双子の赤字という憂慮すべき状況にありました。 とくに貿易赤字についてはその赤字の相手が日本でしたから、米国民のみならず米国議会の日本に対する風当たりも相当なものがありました。 そんな背景を受け、円ドルレートは1985年のプラザ合意以降、急速に円高へと進行しました。 プラザ合意以前は1ドル230円あたりのレンジにあったのが、1986年の初頭には200円を突破、さらにその半年後には150円まで円高が進みました。

◇ 円ドルレートが200円を突破して180円代に入ったころ-----1986年の春だったと思いますが-----、日経新聞に「松下電産(現パナソニック)であっても円ドルレートが150円を超えると経営が成り立たない。はやく政府は円高対策を!」という内容の記事であったか社説であったかが掲載されました。 ところがそののち半年もたたない時に「松下電産は1ドル150円でも利益を確保できる体制を確立」という記事が日経新聞に載りました。 急激な円高進行がはじまってわずか1年のうちに巨艦・松下電産がこうも機敏に対応できたことに、私は驚きの念を禁じえませんでした。 大企業というのは-----戦艦大和のようなもので-----舵が効くまでに相当な時間がかかるものだと思っていた私にとっては、本当に強い衝撃でした。 

◇ アンナ・シュワルツ先生にお会いしたのは、そんな背景の1987年9月です。NBER(全米経済研究所)のニューヨーク・オフィスの一室でした。 シュワルツ先生の第一声は「足の調子がよくないので座ったままでごめんなさい」でした。 そして私の名刺を見て、勤務先であった証券会社のことをいくつか質問してくださり、その後私が半導体業界の証券アナリストであると知ると、最近の日本の電機業界はどうなの?とお尋ねになりました。 「急激な円高で業界は悲鳴をあげていて、1ドル150円がひとつのしきい値(threshold)のように捉えられている」というようなごく当たり前の話をしたところ、先生は「でも日本の企業は1ドル150円でも対応力があるから心配はないでしょう」と他人事のような、あるいは突き放したような感じの返事をされました。

(5へつづく)

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【2010/09/20 23:57】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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◇ アンナ・シュワルツ先生はポール・クルーグマン教授によれば世界でもっとも偉大なマネタリストの一人だそうです。 というよりも日本においては、「ノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンの共同研究者」と言ったほうが通りよいかもしれません。 フリードマン教授とシュワルツ先生の共著のひとつが下左写真の本です。 私は山田先生に「60ドルくらいするけどぜひハードカバーのを買って、先生のサインをもらっておきなさい」と勧められ、そのとおりにしました(左下の写真と一番下の写真)。いつか中身も読んでみようと思っています。

◇ 山田先生によればシュワルツ先生は米国では『連銀の影のアドバイザー』として有名だということでしたが、もしかしたらNBER:全米経済研究所内で知る人ぞ知るという意味だったのかも知れません。 日本のヤフーやグーグルで「アンナ・シュワルツ」と検索してもヒットなし、経済専門家のブログのなかにちょっと出てくるだけで、むかしも今もあまり注目されていない印象です。 ところが米国の Yahoo や Google だとけっこうヒットします。  

◇ 私がシュワルツ先生にお会いしたのは1987年の秋でしたが、そのころ日本のマスコミの寵児であったのは New York City Univ.(NY市立大学)の鶴見芳浩(つるみ よしひろ)先生でした。日本のテレビ、新聞、雑誌にと大活躍されていました。 そのころは米国の双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)が世界経済にとっての懸念材料となっていて、ことに貿易赤字についてはその相手側が日本でしたから何かと米国から目の敵にされがちでした。 そうした経済問題に舌鋒するどく論陣を張っていたのが鶴見先生でした。 覚えておられる方も多いのではないでしょうか。 

◇ 鶴見先生のOfficeは、私がProf.Yamadaのレクチャーを受けていたセミナールームの数階上にあったので、新書版の先生の著書を握り締め、Prof.Yamadaのレクチャーのあと---だから夜の10時すぎに----サインをもらいに行ったのは楽しい思い出です。 まだ忙しそうに仕事をしておられましたが、わざわざ手を休めて10分だか15分だったか先生のいつもの鋭い論を直にお聞きすることができました。 鶴見先生のサインをもらった翌日、NY事務所の同僚に鶴見先生のサインを見せたら「お前もけっこうミーハーだなあ」と笑われてしまいました。

◇ 日本では鶴見先生が八面六臂の大活躍、他方、シュワルツ先生は知る人ぞ知る有名人。著名なお二人の研究者のありようはまったく違っていましたが、そうした異なる生きざまの同時代人を間近に見て、何かとても勇気をもらったような気がしました。 いろいろ飛び交う経済論議について行くことさえじゅうぶんでなかった当時の私にとっては、シュワルツ先生や鶴見先生、ふたりの山田先生のような優れた方々に直接お会いしお話させていただくことができたことは、本当に大きな収穫であったと今でも思います。

著書 シュワルツ先生  ミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツ先生の共著lllllllアンナシュワルツ先生( David Shankbone, 2007, Wikipedia Commons)


◇ 右上の写真の女性がアンナ・シュワルツ先生です。Wikipediaによれば先生は1911年11月生まれ、この写真は2007年9月の撮影ということなので、94歳のお姿ですね。いやー若い! ということは、私が山田先生に連れられてシュワルツ先生にお会いしたのは1987年9月ですから、シュワルツ先生は当時74歳だったのですね、わお!!・・・あの時のシュワルツ先生とほとんどお変わりないような・・・今もお若いという意味です! 下の手書き文字がシュワルツ先生のサインです。

シュワルツ先生のサイン
 シュワルツ先生のサイン


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【2010/09/16 23:39】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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◇ シュワルツ先生を紹介してくださったのは山田先生(当時はN.Y.City Univ. Graduate Centerの准教授であったと思います。のちに筑波大学教授)ですが、その山田先生を紹介してくださったのはもう一人の山田先生(現・米国ラトガース大学教授;以降ではProf.Yamadaと記すことにします)でした。

◇ Prof.Yamadaは飄々とした印象の方でとても好奇心旺盛な先生でした。見聞を広めるということで、ある画廊で毎週開催されていた美術講義に毎週出席されていたのですが、二言目には「勉強になるねえ」、「ためになるねえ」と講義のたびに感動の声を上げておられました。実は私もその美術講義に出席していて、そこでProf.Yamadaの知己を得たのでした。

◇ Prof.Yamadaはとても面倒見のよい先生でした。私が証券会社から派遣されてきたにもかかわらず、当時のケインジアン対マネタリストの論争についてほとんど無知、それどころかマクロ経済学にもじゅうぶんな知識を持っていないということを知って・・・というより哀れんで・・・、経済学個人レッスンを提案してくださったのです。

↓ Prof.Yamada が経済学の個人レクチャーをしてくださったときの私のノート
経済学講義ノート表紙


◇ ほんとうのところは9月からの学部学生向けに始める経済学講義の練習を、私を実験台にしてやってみる---というのが目的です。私にとっては生まれて初めて専門家から受ける経済学講座、しっかり勉強できるまさに『渡りに船』のありがたい提案でした。しかも少しでも疑問な点、わかりにくい説明があれば躊躇なく質問をすべしという、これまたありがたい義務が課せられました。
 
◇ 講義は2ヶ月間つづきました。毎週木曜日午後8時から途中休憩なし、ぶっ続けで2~3時間。Prof.Yamadaも私も仕事が終わってからの疲れた身体でしたが、決して眠くなることもなく実に充実した時間でした。この講義のおかげですこしはマネタリストとケインジアンの論争が少しは理解できるようになった気がしました。

◇ そんな講義も終盤のころ、山田先生が「少しは経済のことわかった? こんどシュワーツ先生と仕事のことでお会いするのだけど一緒に会ってみる?」と誘ってくださったのです。・・・実は山田先生とProf.Yamadaとはご兄弟なのです・・・         
(つづく)

  ↓ Prof.Yamada が経済学の個人レクチャーをしてくださったときの私のノート(中身)
山田先生の経済学講義ノート中

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【2010/09/13 23:13】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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■ 円高傾向が続いています。今日の日銀総裁記者会見で白川総裁は「為替相場は日々様々な要因を反映して変動するもの」であり、また「当局が為替相場を自在にコントロールできるわけではない点にもご理解を頂きたい」とのコメントしていました。どちらかと言えば現実のマーケットから距離をおいたような発言のように私には感じられましたが、そんな印象を受けた瞬間、ふとニューヨークに駐在していた1987年の思い出が蘇りました。当時「ニューヨーク連銀の影のアドバイザー」と呼ばれていたアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)先生の思い出です。当時のFRB議長はポール・ボルカーでした(ボルカーさんは87年8月に議長をアラン・グリーンスパンに譲りました)。

■ 私は理系出身でしたからアンナ・シュワルツ先生がどんなに偉大な先生であるのか、それどころか名前すら聞いたことがありませんでした。紹介してくださったのは当時NBER(全米経済研究所)の教授であった新進気鋭の山田先生。山田先生があるとき「アンナ・シュワーツって名前知ってる? 『FRBの影のアドバイザー』って言われてる有名な先生なんだけど、来週仕事でお会いするからいっしょに来る? 美人ですごく頭のいい先生だよ」などと気易く誘ってくださったのです。真面目な山田先生がわざわざ”美人ですごく頭がいい”とおっしゃったからには何かワケがあると直感した私は、「万難を排して伺います」とお願いしました。そうしたら山田先生は「今はおばあちゃんだけど、なん十年前かのアンナ先生はまちがいなく美人だったと思うよ」。 

■ 確かにアンナ先生はおばあちゃんでした。柔和な笑みで私たちを迎えてくださり、所作ひとつひとつがとてもエレガントでした。山田先生(のちに筑波大学教授)は昨年お亡くなりになりましたが、先生にはほんとうに感謝です。英語力も経済知識もじゅうぶんでなかった私にときどき山田先生が補足説明をして下さりながらの3人での会話は私にとってはとても貴重な経験でした。

■ でもアンナ先生のお話はとてもショッキングなものでした。「私はポールに為替レートで解決するのがもっとも適当な方法だとアドバイスしました・・・相場のことだから正確にこの水準でとは決められないけれど1ドル110円というのは良い水準、うーん105円、もしかしたら100円くらいになっても驚かない・・・」。

(つづく)

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【2010/09/09 00:31】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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