世界最強の株式シストレ・モデルが出力する銘柄ランキング、そのうちの上位2つを事前公開。そしてその運用結果を検証する日記です。
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◇ 1980年代、米国は貿易赤字と財政赤字の2つが同時に存在する、いわゆる双子の赤字という憂慮すべき状況にありました。 とくに貿易赤字についてはその赤字の相手が日本でしたから、米国民のみならず米国議会の日本に対する風当たりも相当なものがありました。 そんな背景を受け、円ドルレートは1985年のプラザ合意以降、急速に円高へと進行しました。 プラザ合意以前は1ドル230円あたりのレンジにあったのが、1986年の初頭には200円を突破、さらにその半年後には150円まで円高が進みました。

◇ 円ドルレートが200円を突破して180円代に入ったころ-----1986年の春だったと思いますが-----、日経新聞に「松下電産(現パナソニック)であっても円ドルレートが150円を超えると経営が成り立たない。はやく政府は円高対策を!」という内容の記事であったか社説であったかが掲載されました。 ところがそののち半年もたたない時に「松下電産は1ドル150円でも利益を確保できる体制を確立」という記事が日経新聞に載りました。 急激な円高進行がはじまってわずか1年のうちに巨艦・松下電産がこうも機敏に対応できたことに、私は驚きの念を禁じえませんでした。 大企業というのは-----戦艦大和のようなもので-----舵が効くまでに相当な時間がかかるものだと思っていた私にとっては、本当に強い衝撃でした。 

◇ アンナ・シュワルツ先生にお会いしたのは、そんな背景の1987年9月です。NBER(全米経済研究所)のニューヨーク・オフィスの一室でした。 シュワルツ先生の第一声は「足の調子がよくないので座ったままでごめんなさい」でした。 そして私の名刺を見て、勤務先であった証券会社のことをいくつか質問してくださり、その後私が半導体業界の証券アナリストであると知ると、最近の日本の電機業界はどうなの?とお尋ねになりました。 「急激な円高で業界は悲鳴をあげていて、1ドル150円がひとつのしきい値(threshold)のように捉えられている」というようなごく当たり前の話をしたところ、先生は「でも日本の企業は1ドル150円でも対応力があるから心配はないでしょう」と他人事のような、あるいは突き放したような感じの返事をされました。

(5へつづく)
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【2010/09/20 23:57】 | 円高とアンナ・シュワルツ先生
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